ティモシーの視点

2003年2月11日
今日新聞広告に関するCLTを終え、昼に帰宅してからここんとこ無性に観たかった「ダンボ」にやっとこさ出会えたよ!

ところが!


私は自分の変化に気付いた。


正直このディズニークラシックアニメを観るのは10年ぶり…いや、もっとだ。

子供のころはそれはそれは楽しく観ていたダンボなのに、ダンボがかわいくてワクワクしながら何度も観ていたのに。

21歳の私の目に映ったダンボはあまりにも残酷で、あまりにも悲しい。

幼くて何も知らないダンボは一言もセリフを言わない。一方でネズミのティモシーは世の中のことをよく知っている大人であり、よくしゃべる。

夜中に母親に会いに行くシーン。母親の鼻にすがりながら大粒の涙を流し、一瞬泣きじゃくるその表情に加え「my baby」(ダンボのお母さんが唄ってるんじゃないかな)という歌詞に乗せた切ない音楽に私は声をあげて泣いていた。

泣きながら自分でもびっくり。まさかこんなことになるなんて。

小さいころは純粋に「ママに会えてよかったね」くらいの気持でちっとも悲しいなんて思わなかった。

そう、小さいころは幼いダンボの視点で物語を見ていたのだ。

そして現在の私はいつの間にかティモシーの目線へ切り替わり。

限りある時間の中で精一杯に愛情を交わすダンボ親子の一方で、他の動物親子は寄り添って眠るシーンが流れる。それが残酷。

異形であるがために偏見に満ち溢れた世界にひとりぼっちで佇むダンボ、設定舞台であるサーカス自体「見世物」である事を忘れてはならない。

そんな現実を知っているからこそダンボ親子の側で思わず涙するティモシー同様、私も泣かずにはいられなくなっていたのだ。


こんな発見があるなんてね。

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